無とは何もないこと

総てがないのではなく「無」という状態があることずら

豪華声優陣/ただのアイドルアニメ の話

豪華声優陣は他の作品でも見れるので特に豪華ではない

元ネタは『カリギュラ』の山中拓也Pの講演の「『カリギュラ』のキャスティングは作品と共に人気を得ていくような人たちにしたかった」という内容です。

見出しはそれを自分の感覚で言い直したものなので、少しずれた趣旨になるかもしれないですが。

この理論が当てはまるのは特に青春モノ(ジュブナイルと言ったほうが近いかも)についてでしょう。キャラクターの成長を描く作品でキャストも共に成長していくのがまさに重要です。

たとえば『アクエリオンロゴス』はキャラクターがかなり確立されている陽(CV: 島崎信長)と舞亜(CV: 佐倉綾音)以外はメインキャストの経験が少なかったりそもそも声優業界ではなかったりする起用しています。梅原裕一郎小澤亜李は前述の『カリギュラ』とも被っているのでまさに当時最も伸びが期待された声優なのでしょう。

豪華声優陣の安定感のある演技は作品を引き締めすぎてしまいジュブナイルな雰囲気にマッチしなくなってしまいます。仮面ライダーなどの特撮作品が若手俳優を起用するのも同様の理由ではないでしょうか。

逆に安定感のある演技が求められる作品もあるでしょう。ギャグ作品、たとえば『斉木楠雄のΨ難』は高校が舞台ですが、メインキャストが神谷浩史小野大輔島崎信長とまさに"豪華声優陣"です。キャストの色が出過ぎず元の役者の雰囲気に合わなければならない洋画の吹き替えなどもそうですね。

演技のうまい豪華声優陣が必ずしも最適なキャスティングではないはずなので、今後もアニメ・ゲームの音響業界の方は原石を磨くのに注力してほしいものです。

アイドルアニメは「ただのアイドルアニメ」であってはならない

豪華声優陣の話と関連して。

ご存知、IDOLY PRIDEの名(迷?)キャッチコピー #これはただのアイドルアニメではない です。

しかし、アイドルアニメに必要な要素を考えてみると「ただのアイドルアニメ」であってはならないという結論になりました。

ジュブナイル作品に豪華声優陣は合わないというのはアイドルアニメにも近いところがありますし、実際アイドルアニメは新人の起用も多いです(ライブで拘束する都合もあるのかもしれないですが)。

そして、その不安定さこそがアイドルを描くのに必要なピースなのだと思います。アイドルという不安定な存在を表現するということは作品そのものも歪だったり尖っていたりする何かが必要だと感じます。

キャラクターを好きになる土台としての作品が特異でなければキャラクターへの愛着も平凡なものに終わってしまうのではないかという感覚です。

この筆頭が『KING OF PRISM』でしょうか。『プリティーリズム・レインボーライブ』から独立したという作品の成り立ちからして尋常ではない展開をしているので成立していることそのものが尖っています。

ラブライブ!サンシャイン!!』1期最終話でルール違反していることを叩くのも多く見られましたが、そのくらい大胆にやってくれなければキャラクターに物語が負けてしまうわけです。

『IDOLY PRIDE』は心臓の話から展開し牧野と麻奈の話に収束させるとんでもない作品です。正直、1周目の序盤はとんでもなさが発露していないので全然面白くないのですが、とんでもなさを味わうと作品への愛着も湧いて楽しめなかった序盤すらも楽しめるようになります。

マクロスΔ』はアイドルを描いているもののアイドルグループそのものが主題ではない(カナメやレイナは主要キャラであっても主役ではない)ように、上記の話はアイドルが出てくる作品すべてに当てはまる話ではないでしょう。

アイドルグループを描くアイドルアニメは誰もがまっすぐ感動できる名作を目指さず、なんらかの 特異さ が必要なのではないかと思います。