クソ映画だと思ってたらクライマックスでまさかの大逆転!!!
以下、ネタバレだらけの感想です。
「子供にしかない想像力」とかいうテーマってクソだよねという話
まず、公式サイトや紹介記事にある簡単な設定について記しておく。ラジャーは想像力豊かな子供が生み出す「イマジナリ」というイマジナリーフレンドな存在であり、その想像をしたのがアマンダという女の子である。そして、イマジナリは子供が成長するにつれて忘れ去られ消えていく存在であり、他の人から見ることはできない。
もうこの時点で嫌い。子供にしか想像力がないなら大人が作る物語なんか見る価値ないということだろう。この映画の脚本だって本来は子供が書いたほうが良かったのでは?
「子供にしかない想像力」というのは大人になるのは価値の損失と言ってるに等しいわけで本当にくだらない。大人だって想像力を持っているのだ。ラジャーがしょっちゅうロジャーと呼ばれるのも皮肉だ。海賊王ゴールド・ロジャーの言葉は人々を海へ駆り立て、男たちは夢を追い続ける。黄金郷は空にあるし限りない大地(フェアリーヴァース)にたどり着くことだってできるのである。
想像力を子供だけのものにするのは想像力が貧困な人間の発想でしかない。大人になることをつまらないと子供に言い聞かせながら育てるのは子供の成長を否定することなんじゃないのか。
だからといってそれを劇中で否定すんなよ
終盤ではアマンダの母親リジーがイマジナリを思い出し、ラジャーたちが見えるようになる。
じゃあ最初から大人と子供とかいう話にすんじゃねえよ。なんだったんだよここまでの話は。
もうこの時点でゲンナリし尽くしているのでどうでもいいといえばどうでもいいのだが、「他の人から見ることはできないんじゃなかったっけ?」という疑問も湧く。少なくともラジャーは同級生からも見えない存在だったはずだし、その同級生の元にイマジナリが現れているので根本的に描写が矛盾している。
想像力がテーマなのに……
このように映画のテーマは明らかに「想像力」である。
「見たこともない鳥、見たこともない花、見たこともない風、見たこともない夜、そんなステキなもの見たことある?」というラジャーのモノローグで囲んだ物語のくせにアニメ的な表現がジブリすぎる。どこかで見たような絵面のアニメが見たこともない景色を語るなんと滑稽なことか。
イマジナリの箔付けに実在の偉人を利用するのが下品すぎる
創造主(想像主?)がいなくなったイマジナリは基本的に消えるのだが、いろいろあって図書館に住んでいるイマジナリがいる。「イマジナリは本のなかの空想で活躍できる」という理屈で図書館が重要な位置づけになっているのだが、本を書いてるのは大人なんじゃないんですかね……。
そんな図書館にいるのがピカソのイマジナリだとかベートーヴェン(ピカソは名指しだったがベートーヴェンは「耳の不自由な音楽家」呼びだった)のイマジナリだとかがいて凄いでしょうと見せてくる。ピカソやベートーヴェンの権威で箔付けしてるのが下品すぎてゲンナリ。
ちなみに、図書館のシーンで今日は何曜日だとか言ってるシーンで何言ってるのか全くわからなかったのだがなんだったんだろう。
人格改変型TSFとしてはかなり良い描写がある
ラジャーがアマンダの友達を利用しようとするところがあるのだが、イマジナリは相手になる子供が求める役割を果たさなければならない都合でバレエ少女に書き換えられそうになってしまう。その筋の人が見たら絶賛する描写だったと思う。個人的にはニアミスくらいの位置づけなのだがわかるよという感じだった。
まあ全体で考えると妙な描写なのだが
イマジナリというのはジョジョのスタンドのごとく個人と一対一対応するような存在であると思ってたので、他の子供のところに行くのっておかしくないか?
仲里依紗の声が昔の高山みなみに激似
ちなみに、中盤のヒロインであるエミリ役の仲里依紗の声がキキの頃の高山みなみに激似。時をかける少女のときとは比べ物にならないくらい似てる。
悪役がなんか変質者みたいな怖さ
「想像力を失いたくなくて他の子供のイマジナリを喰らって、イマジナリを喰らい続ける化け物になってしまった」みたいなのが悪役(CV. イッセー尾形)なのだが、イマジナリを喰らうために付け狙うのが変質者みたいでそういう怖さであるべきじゃなくないかと思った。もっと妖怪的・悪霊的な存在だったほうが物語に調和するように思う。
また、イマジナリを狙うと言いながら最終決戦では人間であるアマンダを攻撃したりして何したいのか全くわからない。
この悪役は黒髪の少女のイマジナリを引き連れているのだが、あまり背景は描写されていない。イマジナリというよりスタンド能力だと思ったほうがしっくりくる。
予告でも言っている「想像が決して勝てないものがあるんだ。現実だ」というセリフ、この設定の敵から出るのっておかしくない?
場面の繋がりがおかしい
黒髪の少女のイマジナリがラジャーを連れ去ろうとしているカットの次にラジャーが一緒にいて「?」となる。会話によると、連れ去られはしなかったらしい。なんでやねん。ちなみに、黒髪の少女に捕まってるのに次のカットでいつの間にか抜けていることはもう一度あった。
次におかしなカットはアマンダが救急搬送されてるところだろう。ロジャーは救急車に乗らず見送ってアマンダと離れ離れになってしまったとなる。こいつ、なんで救急車に乗り込んでないの?おかしくない?
最終決戦ではイッセー尾形がアマンダの病室に来る。完全に不審者なので言い争いとかしてないでさっさと医者を呼ぶべきである。
悪役の最期のセリフが最高すぎる
しかし、ここまでに書いたことなど些細なことだ。
イッセー尾形の悪役は執拗にラジャーを食べようとする(どうやらラジャーは食べ頃らしい)。そして最終決戦でラジャーを食べようとするがラジャーに避けられ、黒髪の少女のイマジナリがイッセー尾形に食われに行く(意味が分からないのだが実際そういう描写だ)。ここで発するセリフが完璧なのである。
「私は遂に食べた!なんと格別な……!しかし…フレッシュというよりまるで腐ったような……これが……現実!!??」
順序は違うかもしれないが、このようなセリフだった。この映画を見てるときの自分の気持ちを100%代弁してくれていて最高すぎる。あまりに自分の気持ちとシンクロしすぎていて笑ってしまった。
この最期のセリフだけで十分な満足が得られる最高の映画である。『屋根裏のラジャー』は必見です。