無とは何もないこと

総てがないのではなく「無」という状態があることずら

「ウルトラ5つの誓い」とは

帰ってきたウルトラマン最終話『ウルトラ5つの誓い』より

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「ウルトラ5つの誓いを言ってみろ」

「嫌だ」

「言いたくなければいい。だが次郎、大きくなったらMATに入れ。MATの隊員はみんな勇気ある立派な人達だ。君も、嫌なもの許せないものと戦える勇気ある男になるといい」

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ウルトラマンに変身し、飛び去る郷

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郷さーん

ウルトラ5つの誓い
一つ、腹ペコのまま学校に行かぬこと
一つ、天気の良い日に布団をほすこと
一つ、道を歩く時には車に気をつけること
一つ、他人の力を頼りにしないこと
一つ、土の上を裸足で走り回って遊ぶこと

聞こえるかい、郷さーん

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(ナレーション)

こうして、ウルトラマンは去っていった。

しかし、太陽のように強くたくましかった郷秀樹はこの少年と少女の心の中で、いつまでも燃え続けることであろう。

さようなら、郷秀樹。さようなら、ウルトラマン

「ウルトラ5つの誓い」の解釈

ウルトラ5つの誓いはウルトラマンファンにしばしば言及され、パロディで使われることもある。

しかし、どうも言及され方が間違っていることが多いように思えてならない。特に、ウルトラマンメビウスで「ウルトラマンが残した言葉」とされて神聖視されているのが違和感が強い。

帰ってきたウルトラマン』は郷秀樹の人格がウルトラマンの人格と一つになっていく描写がなされている。そんな中、ゼットンを倒したウルトラマンが郷秀樹の姿になって次郎たちに別れを告げに来る。

次郎少年がウルトラ5つの誓いを言いたくないと拒んでいることからも明らかなように、これは郷秀樹から次郎に対する別れの言葉である。決してヒーローであるウルトラマンが子供に対して教えを説いているのではない。ナレーションも「ウルトラマンは去っていった」「太陽のように強くたくましかった郷秀樹」と区別して言及している。

誓いが日常的な内容なのは郷秀樹という人間としての命を終える前の最後の言葉だからだ。次郎という少年(あるいはメタ的には視聴者である子どもたち)に対する言葉であるから意味がある。


ウルトラマンメビウスでアイハラ・リュウの初登場シーンはウルトラ5つの誓いを叫ぶところから始まる。「尊敬する隊長が子供の頃友達に聞いた言葉だ。ウルトラマンが残した言葉らしい」と言う。

そうじゃない。大好きな兄貴分が遺した言葉だから心に刺さるのであって、大人が又聞きで心に刻む言葉じゃない。ウルトラマンが遺した素晴らしい名言なんかではない。

ウルトラ5つの誓いは郷秀樹と共に過ごした日々があって成立する言葉なのである。