ネタバレ込み込みで
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完全にこれだった。綾波レイの影響を受けたキャラ造形のヴァルダが14年前(キスダムが14年前なのマジかよ)にやっていたことそのものをやるのにゲラゲラ。
そもそもヴァリレイの行動原理も碇ゲンドウのそれと同様なわけだけど、今作では碇ゲンドウがヴァリレイと化している。「由乃をその手で抱きたくはないのか」みたいなセリフもあったし。あとは、「ユイ……ユイ……どこにいる……ユイ……」みたいなのも人工衛星を破壊した後の哀羽シュウみたいで非常にゲラゲラした。
奇しくも、『シン・エヴァンゲリオン』が『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』が公開された当時に放送していた『キスダム -ENGAGE planet-』とあまりにも通ずる作品になっていることに奇妙な縁を感じずにはいられない。
さて、『シン・ゴジラ』はゴジラシリーズでダントツで面白い傑作だったが、『シン・エヴァンゲリオン』はこれまでの作品に比べると後を引くような余韻を残さない淡白な味わいですらあると感じた。
謎が謎を呼ぶ展開などはもはや不要であり、ある種の予定調和的な作品に仕上がっていたのだと思う。そういう意味での、ストーリーの驚きのある楽しさはあらゆる点でキスダムが勝っていると思う。
ただ、『シン・エヴァンゲリオン』はそういう作品で良かったんだろうと感じる。
劇中で表現されているとおり「自分のやったことに落とし前をつける」というのが『シン・エヴァ』という作品そのものだった。
エヴァンゲリオンにおけるジュブナイル要素はヱヴァ序の頃にはもはや揺らいでいて、2021年の現在となっては「ジュブナイル」要素ではなく「エヴァンゲリオン」要素としての存在になっている。そんな時代においては、『新世紀エヴァンゲリオン』というシリーズの完結編とするには「父と子、ゲンドウとシンジの対話」という古臭さすらあるような展開で落とし前をつけるしかなかったし、それを正々堂々やりきったことがこの作品の存在意義なんだろう。
原点回帰という点で露骨なパロディも盛り込まれていて、ヴンダーに搭乗したあとの宇宙戦艦ヤマトのような雰囲気からの「ヤマト作戦!」(作戦名が出るのはここだけ)でガミラスの硫酸の海を彷彿させるような艦隊戦を始めるところは露骨に悪ふざけだった。
また、シンジの初号機とゲンドウの13号機の戦闘ではいわゆる「ウルトラ広場」があるようなミニチュア特撮のような街やかつての家(のセット)、『ウルトラセブン』のメトロン星人戦のような夕陽の背景など実相寺昭雄作品のような演出がなされていた。
実相寺昭雄監督作では『ウルトラマンティガ』37話「花」、『ウルトラマンダイナ』38話「怪獣戯曲」、『ウルトラマンマックス』22話「胡蝶の夢」など特撮シーンを舞台と見立てて撮影するような演出がなされていたが、まさにその系譜だろう。(ここについては全く別の流れだろうが『キスダム』最終節のネクロワールドと通ずる描写となっている。)
ちなみに、「怪獣戯曲」の登場怪獣の名前は「ブンダー」であり自らを自らの槍で貫いて爆散する。
この他にも悪ふざけのようなパロディはあるかもしれないが、そのようなパロディがエヴァをエヴァとして終わらせるには必要なプロセスだったんだろうと思った。
こうして手垢がついたようなことをハッキリとやりきったことを踏まえると、大人になったシンジのキャストが神木隆之介だったのも『君の名は。』の大ヒットの影響を見いださずにいられない。『ヱヴァQ』よりもさらに新しい作品のパロディ的な要素でもうエヴァンゲリオンの時代ではないんだと言い切っているようにも思えた。
革新的傑作としてのエヴァンゲリオンは既に役目を終え、それを終わらせることそのものが『シン・エヴァンゲリオン』という作品だったんだろう。