最近、22/7にハマってる。そんな中、少年ハリウッド最終話完全版が公開されたので見に行った。そこで「22/7は少年ハリウッド最終話と同じラインに存在するのではないか」と気付いた。
そんなことを書き留めて置こうと思う。
なんだか片言になってしまった。
アイドルとしての実在性を持ったキャラクター
少年ハリウッドの実在性
少年ハリウッド最終話の構成は非常にシンプルだ。『少年ハリウッド』のクリスマス公演そのもの である。最終話の前にも架空の歌番組で1話成立させてしまう『ときめきミュージックルーム』など少年ハリウッドではアイドルとしてどんなことをやっているのかの"表側"を見せることが多々ある。
架空の番組を物語に組み込むということ自体が特別というわけではない。最近だと「カメラを止めるな!」でも用いられたし、ウルトラマンX 16話「激撮!Xio密着24時」のようなしょうもない駄作でも見られる手法ではある。少年ハリウッドで重要なのは「アイドルである少年ハリウッド」を何度も何度も見せてくることである。
アイドルとして活躍する姿というのはいわば"表側"だ。その表側だけが描かれた少年ハリウッドのクリスマス公演が映すものはもはやジャニーズの年越しコンサート中継―もちろん規模は違うが―と2次元か3次元かという違いしかない。3次元のアイドルと同等レベルまで描く情報を削ぎ落とすことで実在性を生み出しているのだ。
少年ハリウッドはあくまでアニメ作品なので「時空の向こう側より」という言葉を使って、向こう側に少年ハリウッドが存在していると一歩引いている。
22/7の実在性
そこで今回のブログの本題である22/7が出てくる。
少年ハリウッドが歌番組や舞台などを模した回を挟むことでアイドルとしての実在性を担保してきたが、22/7はどうしているか。
その答えの一つがバラエティ番組そのものを作ってしまうことだろう。
それが現在放送中の22/7 計算中である。お笑い芸人の三四郎と同じスタジオでトークしたり、ロケに行ったり(たまにゲスト芸人も同行)する番組だ。
時空のあっちとかこっちとか言うまでもなくこっち側である。お笑い芸人がこっち側なのは明らかでその芸人と同じ空間にいるのだから当然だ。
お笑い芸人がMCでアイドルが企画に挑戦するアイドルバラエティのフォーマットが存在するうえで、そのフォーマットで実在性を担保するというのは少年ハリウッドの手法に近い。違うのは、計算中はアイドルバラエティを模したものではなく、アイドルバラエティそのものだということくらいだ。ちなみに、制作しているのもアイドルバラエティを多く手がけるK-maxというプロダクションである。
関係ないけど、三四郎は1月からSKEBINGO!なるSKE48の番組のMCも担当している。大物すぎず若手すぎずでちょうどいいのかな。そのうち計算中と比べてみたい。
アニメキャラとアイドルの違い
「アイドルとして描写することで実在性を担保する」という話を書いたけど、そもそもアイドルにあってアニメキャラにないもの・あるいはその逆とは何なのかも言語化しておきたい。
アニメキャラは人間(じゃない)
アニメキャラとアイドルの違いとして最も大きなモノは見られていることを認識しているかではないかと思う。
アニメキャラは基本的に見られていることを認識していない。キャラクターの人間性を描写する以上、キャラクターの本心を描かなければならない。そのためには心の声さえも視聴者に聞かれてしまう。
アニメキャラに対しては、その人間性を描くために心の内すらも暴かれる非人間的な行為が存在してしまう。
見られていることを認識している少年ハリウッド
少年ハリウッドは物語なのでキャラクターだし、カケルのポエムモノローグは名物と言っていいほどだ。しかし、彼らは時空の向こう側ではアイドルとして存在しているので見られているという認識も持っている。
少年ハリウッドが見られていることを認識していることについては、第16話「本物の握手」で濃密に描かれている。
- ファンに買うんですかと聞かれてダサいTシャツを買うシュン
- そんなにお菓子食べないのに可愛いキャライメージのためにポップコーン大好きアピールするキラ
本物を探す回でアイドルとして求められる姿を演じるというのが象徴的。素の自分を隠してアイドルとして求められる姿を演じるのが"本物"のアイドルだと言わんばかりの描写に感じた。
計算中以外の22/7
22/7はキャラクターもオーディションに通って結成されたプロのアイドルとしてデビューしたものとして徹底している。
バーチャルYouTuberとしての動画もアイドルの仕事の一環として行っているので、方向性としては計算中に近いかな。
Twitterアカウントの運用も計算中を実況したりと一般的な声優やアイドル、芸能人の運用と同じようになされている。特に、藤間・丸山の深夜リプライは22/7の名物になっている。22/7スタッフアカウントに直談判リプライを送りつけたのはすごかった。
- あの日の彼女たち
ニュータイプの連載、キャラクターPVで展開されている『あの日の彼女たち』の扱いについても絶妙だ。彼女たちの素顔なのかなと思わせつつアイドルの仕事のようにも見えるような作りで実在性を損なわない作りになっている。
料理をするところから始まっているが、包丁を使うカットは全部アップになっている。計算中でトラギス揚げにチョコレートソースをかけるという信じられない料理を作りドランクドラゴン鈴木拓に酷評された回にこのPVが放送されたということを鑑みるとこの描写も深読みしたくなる。
「PVでめちゃくちゃな料理を作っても困るということで代役が立てられてPVが撮影された」と解釈することもできるし、ファンのツッコミ待ちでわざとそんなPVにしたようにも解釈できる。
- MV
そんな活動を踏まえてみると
本日映像解禁です。タツノコプロ制作アニメーションMV、ぜひご覧ください。特にダンスシーンには自信あり! #ナナブンノニジュウニ
— タツノコプロ(公式) (@tatsunoko_pro) 2017年8月24日
22/7 『僕は存在していなかった』 https://t.co/4aBU862dfU @YouTubeさんから
乙部さんらタツノコCGチーム と聞いて期待していたのに衝撃を受けるほどしょっぱくて一瞬で無理になったMVもコンセプトが感じられる。アイドルの文脈としてのMVとして作ろうとしたんだろうな、と。
とはいっても2次元にも3次元にもなりきれない中途半端なMVであるという印象は拭えないので、4thシングルでは2次元でも3次元でもない22/7のMVを探ってほしい。
- アニメ
アニメ化が決定してるらしいけど、どういうのにするんだろうか。アイドルありきのドラマの手法を取り入れて作っていくのかなと思ったりする。
- キャスト
ここまで22/7をキャラクターのグループの意で使っていたが、実際はキャラクターのグループでありキャストのグループである。
キャストのグループとしての22/7はキャラクターのグループとしての22/7と重なりつつも明確に違うものだとしているのかなと第1回定期公演で感じた。
最初の挨拶の「計算中のキャラクターを見て来てくれた人も今日はキャラクターじゃなく私達の魅力を知ってください!」がめっちゃ22/7らしいなと思った #ナナニジライブ
— KZRNM (@kzlogos) January 22, 2019
計算中やTwitterなどでキャストの趣味趣向がキャラクターに反映されていくなど、キャストとキャラクターの境界が曖昧になっているからこそ別の存在として確立することがキャラクターをアイドルとして存在させるために必要なんだと思う。