無とは何もないこと

総てがないのではなく「無」という状態があることずら

特撮感想:ゴジラ

ゴジラ

原作:香山滋 脚本:村田武雄、本多猪四郎 監督:本多猪四郎 特殊技術:圓谷英二
公開:1954/11/3

登場怪獣

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ゴジラ

感想 

ハリウッドでゴジラが製作され大ヒットと報じられるなかで、ゴジラ 60周年記念デジタルリマスターが映画館で上映されるという企画があった。ウルトラシリーズは多く見てきたが、ゴジラは白目ゴジラ以降の作品しか見たことがなかったということや1954年のゴジラを劇場で見られる機会はもう二度とないかもしれないと思い、友人を誘って品川プリンスシネマに見に行った(ちなみに、ゴジラの上陸地が品川というのはどこかで聞いたことがあった)。

第一印象としてはスタッフロールがOPにあるのが新鮮だった。映画の余韻を味わうという点ではこの手法はとても良いと思った。

序盤は貨物船や漁船を沈めるだけでゴジラは姿を表さないことで緊迫感を煽っている。初見時には気付かなかったのだがここから生き残りの船員が漂着するまではとてもテンポが良い。一気に物語へと引き込まれた。

嵐の夜にゴジラが大戸島へ上陸し暴れまわる。実はこのときにゴジラの足が写っているらしいのだが自分は気付かなかった。
高波の描写や家が崩れる描写などの特撮は圧巻。この映画で最も緊迫感があるシーンだと思う。

調査団が大戸島へ向けて出港するシーンは出征するかのような雰囲気。何隻も沈められたのだから仕方ない。
調査中、ついに姿を現すゴジラ。島民が日本刀を持ちだしているのが驚き。
山根博士はジュラ紀を200万年前と言っているが、ジュラ紀は2~1.5億年前である。

特撮シーン以外では東京の街や民衆の服装が興味深かった。高層ビルがほとんどなく、和服を着た人も多く見受けられる。私が今までに見たことのある映像作品は高度経済成長期の最中、1966年のウルトラQが最古であった。高度経済成長が始まる直前の1954年の様子は全く新鮮に見ることが出来た。
長崎の原爆や疎開といった戦時中を想起させる言葉が飛び交うのも戦後の作品であることを思い出される。

ゴジラを倒すために爆雷攻撃が行われたが全く効果はなし。この爆雷攻撃のときの曲はメインテーマについで印象に残った。
ついに品川に上陸するゴジラ。 全く止まろうとしない電車には少し笑ってしまった。
一旦は海へ帰っていったが、ゴジラを倒すため海岸に鉄条網を設置し5万ボルトの大電流(正しくは電圧だが)で倒そうという作戦がたてられる。
自衛隊基地から車両が出て行くシーンでメインテーマが使われていることから、この曲は自衛隊のテーマなのだろうと思われる。

再上陸したゴジラは鉄条網をものともせず、放射脳熱線によって東京を火の海と変えていく。
この放射脳熱線は霧状で自分のイメージとは異なっていて驚いた。映画館で一緒に見た友人は「冷凍光線かと思った」と言っていた。
炎の迫力という点では白黒映画であるためどうしても劣る点があるが、淡々と破壊神を描写しているようで臨場感が感じられた。
田町や新橋といった具体的な地名が出ることで東京に上陸したということを感じたし、特に銀座や国会議事堂のような現存する建物を破壊するシーンではある種のカタルシスがあった。当時の東京都民はこの破壊をより臨場感を持って感じられたのだろうか。
ゴジラを実況する取材クルーの有名な「さようなら」のシーンは狂気のプロ意識を描写した名シーン。それでもなお淡々とした描写が印象に残る。
東京湾に出て行くゴジラに戦闘機部隊がミサイル攻撃を行うが一発も当たっていない。せめて一発くらいは当たって欲しかった。

野戦病院ゴジラの被害を目の当たりにした恵美子は秘密を話してしまう。
オキシジェン・デストロイヤーは水中の酸素を破壊しつくす強力な兵器となりうると話す芹澤博士。そして、使うことになってしまったら自らの命も断つとも話す。
おそらく芹澤博士が自殺したのは科学者しての挟持よりも恵美子の裏切りの方が大きかったのではないだろうか。女に秘密を話してはいけないという教訓は60年前の映画にも描かれている普遍的な概念だったのだろうか。
個人的な感想としてはゴジラの脅威の前にその意思を知っていてもなお秘密を話してしまうのは納得がいく。死んでくれと言わんばかりのことを「許してください」 と自己保身に走った恵美子の汚さには心底侮蔑を覚えた。ここまで感情を揺さぶる人間ドラマを描いている本多監督の技量はあっぱれと言わざるをえない。

終盤では「ゴジラをいかに倒すか」ではなく「オキシジェン・デストロイヤーを用いるか」ということに主題が移り変わっている。
「オキシジェン・デストロイヤーを使えば確実にゴジラを倒せる」というのは後の怪獣映画であったらある種の反則とも言えるほどの描写なのだが、反水爆を徹底して訴える『ゴジラ』だからこそ納得のいくものとなっている。


オキシジェン・デストロイヤーでもがき苦しみながら沈むゴジラの断末魔は物悲しさを帯びている。
このゴジラは人間の水爆実験によって目覚めさせられた挙句、水爆を超える兵器で殺されるという被害者として描かれている。
山根博士は水爆実験を続けることで新たなゴジラが現れることを危惧する山根博士で物語は幕を閉じる。